娘と歩く

娘は 3208グラムで産まれた。

黄疸が出て、肌はしわしわだし、
手足がなんだか長くて

とてもお世辞でも可愛いと言う赤ちゃんではなかった。

宇宙人みたい、母から思われるような赤ちゃんだった。


抱っこして、おんぶして

腕まくらをして

抱きしめて

父親の居ないお祭りは、肩車をして

手を繋いで散歩して

一緒に風呂に入って




まだまだ幼い子供だと思ってた。




でも、今は
私の身長を超え
靴のサイズもデカイ

最近、カロリーを気にするようになって

自分の事を、私と言うようになって

洋曲が好きで

どちらかと言うと、男前な女子になった。





少し大人になった娘に





高校辞めたいって思う?

って質問をしてみた。






は?
辞めたいよ、普通に。

でも、辞めないのが自分の為って思うから、リアルに考えないけど。






分かったような事を言い放った。






あんなに、小さくて
泣き虫だった娘が

ちゃんと、自分の未来の事を考え
それを言葉に出せるようになった。





えらいねー

って褒めたら






あーウザっ




渋い顔をする。





宇宙人だと思ってた、娘は

渋い顔も女子になっている。




親はウザいもんなの




娘の後ろを追いかけ

また2人で歩く。





こんな時間を持てる私は、幸せだ。

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# by nico_noan_asapi | 2017-06-22 23:09 | Comments(0)

ヤツとお金と私④

思い返せば、ヤツとの結婚生活で1番辛かった時期だと思う。

長年、蓄積された膿が悪化し熱を持ち
破裂する前の痛みのような気がする。


精神科を退院して
実家に帰るようにしていたけど、
まだ覚悟が足りなかった。


娘を転校させなきゃ
仕事転職しなきゃ
親に心配かけるなぁ

なんて、実家に帰れない理由を並べては、
ヤツとの生活を続けてた、そんな時期に始めた結婚式場のバイト。



12時間働いて帰宅する。
朝からの食器を洗い、明日の食事の仕込みをして、洗濯物を取り入れ、部屋の片付けをして、風呂に入って寝る。


疲れで熱を持ったかのように、体中がチカチカして眠れなかった。


時々、まだ幻聴のように
耳元で聞こえる爆音にも悩まされていた。



それでも、バイト中は、ヤツとの事を考える時間さえ与えてもらえないほど忙しく、

夢中で働いた。




そして、1番辛い時期に
幸せそうなたくさんの笑顔を見れた事が、私の救いだった。

辛い時期だろうが、仕事中は、私も笑顔で接客をしないといけない。


それも、私の今の貴重な経験となっている。


笑顔は、人の気持ちを救うこともある。
だから、今も笑顔で仕事をするように心がけている。


そして、バイトを始めて3カ月後に、私はバイトリーダーに抜擢された。
社員と同じような仕事を任せられ、バイトのみんなをまとめ、指導する立場になった。


この時の経験が、今の管理者として働く私の基礎になっている。




辛かった時期に、たくさんの人たちに助けられ学ぶことも山盛りあった。


ここで働かせて貰えたことに、感謝してる。



約3年半、私はバイトを続けた。


ヤツが家を出て行く、前日まで働いた。

なぜ辞めたかと言うと、
娘と事実情の2人暮らしになったから。

土日祝日に、娘を1人残し、12時間も働くことが出来なかったから。




この時期に、アンタのせいでに書いた、整形外科の先生に手渡された、
名刺のDV相談窓口に電話をしたり面談をして貰ったり


口は悪いが腕の良い、弁護士先生とのご縁もあった。



3年半で、ヤツにバレないようにコソコソ貯めた貯金で、離婚後すぐにアパートも借りた。


その額、20万円。

私は20万円から再出発をした。






実は、アパートの契約金には、貯金額では足りなかった。


どうしよう?と悩んでいた時に
金融関係の職場で、毎月3000円づつの積立をしている事を思い出した。

その積立から、10万円を下ろし
カーテンレールさえ、全て取り外し
新築5年の家を、抜け殻同然にして

アパートに引っ越しをした。




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# by nico_noan_asapi | 2017-06-21 22:27 | Comments(0)

ヤツとお金と私③

私の友達が結婚式を挙げることになった。


結婚して10年、
旦那が、末期の癌で余命宣告された。


思い残すことは、結婚式を挙げてやれなかった事だと言う旦那に、
友達は旦那の為にと、結婚式を挙げることにした。



と、言ってもレストランを貸し切ったパーティで、会費制。





うん、もちろん出席させてもらうね。

友達に言ったものの、私に会費を払うお金はなかった。





ヤツに事情を話し、会費のお金を貸してくれないか悲願した。





死んでいく奴に渡すお金なんてない。
貸せない。
行く必要なんてない。





結婚式の当日、ギリギリまでヤツにお願いしたが、答えは同じだった。





食費の中から、私は会費分の半分を封筒に入れ、出席する友達にお祝いとして渡して貰えるよう頼んだ。

娘が体調が悪くて行けなくなった、と嘘をついた。




帰り道、悔しくて涙が止まらなかった。




結婚式の2週間後、友達から訃報が届いた。
お香典を母に借りて参列した。

食費から捻出したお祝い金も借りて補てんした。



この事があって、私は仕事を増やそうと決めた。


だけど、金融関係の仕事はパートで、決まった日時の契約になっていた。

だから、増やす事が出来なかった。





アルバイト情報誌を読み漁った。





ヤツは、働く事に反対はしなかったが、職種に対して差別的な考え方があったので、ひとつひとつお伺いを立てなければいけなかった。






ヤツは、大学生時代バイトをしていた。

結婚式の派遣バイト。

きつくて、あんな割に合わない仕事はない。

と、嘆きながら、あんなきつい仕事を俺様がしていた的な自慢話しを聞かされていたので、私も同じバイトを選択してみた。


金融関係の仕事は、土日祝日休み。
結婚式のバイトは土日祝日のみの募集。


扶養内での金額を調整する事も出来る。


面接に行こうと思うとヤツにお伺いを立てたら、

お前みたいな年で出来るはずがない。
きついんだぞー
バイトはみんな馬車馬のようにこき使われる。
結婚式の仕事なめんなー



大丈夫です。
土日、貴方がいる時だけで良いので、ニコをお願い出来ますか?




やれるもんなら、やってみろ。





私は、土日、ヤツが休みの日だけという条件で結婚式場でバイトを始めた。


ヤツと娘の朝昼晩の食事を準備して、
朝の9時から夜の9時まで働いた。

丸々12時間、立ちっぱなし、歩きっぱなしで、大学生やフリーターに混じり働いた。


バイトが終わると、ヘロヘロになり
訳もなく、泣きながら運転して帰ってた。



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# by nico_noan_asapi | 2017-06-21 00:14 | Comments(0)

ヤツとお金と私②

環境も変わったし、貯金額の誤解も解けたし、きっと新しいマイホームで、

家族3人、普通の家族の生活が出来るはずだと、何度も言い聞かせた。





引っ越しも終わり、初めての給料日。



ヤツが

これからは、お前にお金は預けない。
俺が管理する。

お前に必要なお金は自分で稼げ。
俺は知らん。


・住宅ローンは俺様が払う。
・光熱費は俺様が払う。
・ニコの教育費と医療費は俺様が払う。
・家族3人分の食費はお前が出せ。
・ニコの教育費と医療費以外はお前が出せ。
・お前の必要経費はお前が出せ。

これで、折半。

文句があるなら、俺様より稼いでから言え。



これが、新しいマイホームで課せられた私へのルールとなった。



当時、私はヤツの扶養内のパート勤務、金融関係の仕事をしていて、手取り9万弱だった。

食費4万円。
自分の生命保険代1万円。
車の保険代5千円。
ガソリン代5千円。
携帯料金5千円。
私の小遣い2万円。(ニコのオヤツや服や化粧品、研修費、交際費込みで足りなかった)

残った僅かなお金を予備費に回した。


当時流行り出した?サクラの仕事を、携帯を使ってやっていた。

片手間だったから、月に三千円ぐらいの収入。
それでも、そのお金で、ニコにアイスや本を買ってあげていた。






そんな生活の中、
私は妊娠、そして流産。



流産を挟んで、私は仕事を休んだ。
もちろん入院もした。


俺の子ども、産んで返せ。と言われた出来事。






ヤツは、あの後、
入院費も返せ、立て替えた食費も返せと言われた。

生命保険の給付金を全額ヤツに渡した。







それからも、こんな生活が離婚まで続く。






伝線したストッキングを買うお金もなく、
同僚に誘われたランチも行けず、
切れたボールペンの芯さえ買えず、


ホントに、私はなんの為に仕事をしてるんだと情けなくなっていた。





食費を切り詰めようと努力したが、
当時はヤツの朝昼晩と、夜勤の時には4食を作っていた。

俺は何でも食べるって言いながら、
4食の弁当に同じおかずを入れるとキレられていたので、ホントに苦労した。








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# by nico_noan_asapi | 2017-06-20 23:34 | Comments(0)

ヤツとお金と私

ヤツと結婚をして、約8年間、私がヤツの給料を受け取り家計簿をつけて管理してた。

当時は、ボロい社宅に住んでいた。


ヤツは、自分の稼いだ金だからと、
小遣いとは別に、飲み会の度に万単位のお金を要求してくる。


これじゃ貯金できなくなると、私もアルバイトに出て少しずつ貯金にも回した。



何度もお金の事は、話し合った。

少し飲みに出る回数を減らして欲しい。
趣味でやってる、株投資のお金も考えて欲しい…と。


でも、ヤツは俺様の金という考え方しか出来ない。


仕方ない。
諦めたほうが楽だ。



好きなだけ使えば良い。






ヤツの父親が亡くなって、母親が実家に1人になった。

それは心配だーと、同居すると言い出した。


すったもんだがあり、同居ではなく、同じ地区に家を建てることになった。






貯金あるよね、頭金。

涼しい顔をして言って来た。





うん、あるよ。

と、通帳を見せた。







なぜ、これだけしかないんだ。
何に使ったんだ。

発狂するヤツに、約8年分の家計簿と、年単位に収支をグラフにした物を見せた。


食費の2倍がヤツに渡した遊楽費。


それを見たヤツは、真っ赤な顔で言った。

こんなに貰った記憶はない。
お前が、使い込んで俺に渡したなんて騙くらかしてる。
俺の計算では500万はあるはずだ。

この泥棒。金返せ。






こんなやり取りをした夜、
ヤツの父親からの遺産で、タンスの中に300万の札束があった。



この300万を持って、娘と逃げようか、一晩中真剣に考えた。

泥棒呼ばわりするなら、ホントに泥棒してやろうか。




でも、亡くなった人からの遺産を持って逃げることは出来なかった。






結局、遺産と8年で貯めた僅かな現金を頭金にして、新築のマイホームを建てた。






なぜ、あの日
家を建てることを嬉しく感じたんだろう。

泥棒と言われたヤツと、なぜ夢を膨らませた新居に引っ越したんだろう。




ホントに学習能力の無さ。
私って馬鹿だ。
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# by nico_noan_asapi | 2017-06-20 23:03 | Comments(0)